岡本太郎の芸術は、一言でいうと、「考えなくても済む芸術」といえます。
芸術は、一般的には思想などの講釈があって優良可が云々されます。
岡本太郎のは、単純ですから「爆発」と言っておけば、「ああ!!」となります。
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1.岡本太郎の生い立ち
以下の、URLを参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E 岡本太郎(以下岡本と表記)は神奈川県橘樹郡高津村大字二子(現在の川崎市高津区二子)で、漫画家の岡本一平、歌人で小説家・かの子との間に長男として生まれる。
父方の祖父は町書家の岡本可亭であり、当時可亭に師事していた北大路魯山人とは、家族ぐるみの付き合いがあった。
父・一平は朝日新聞で"漫画漫文"という独自のスタイルで人気を博し[注 1]、「宰相の名は知らぬが、一平なら知っている」と言われるほど有名になるが、付き合いのため収入のほとんどを酒代に使ってしまうほどの放蕩ぶりで、家の電気を止められてしまうこともあった。
母・かの子は、大地主の長女として乳母日傘で育ち、若いころから文学に熱中。
お嬢さん育ちで、家政や子育てが全く出来ない人物だった。
岡本が3〜4歳の頃、かまって欲しさにかの子の邪魔をすると、彼女は太郎を兵児帯で箪笥にくくりつけたというエピソードがある。
また、かの子の敬慕者で愛人でもある堀切茂雄を一平の公認で自宅に住まわせていた。
そのことについて、かの子は創作の為のプラトニックな友人であると弁明していたが、実際にはそうではなく、自身も放蕩経験がある一平は容認せざるを得なかった。
後に岡本は「母親としては最低の人だった。」と語っているが、生涯、敬愛し続けた。
2.太陽の塔とは何か?
以下のURLを参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E3%81%AE%E5%A1%94 太陽の塔は、「人間の自由を表す芸術」なのか、或いは「巨大さと、表現のわかりやすさから、万博の政治的なモニュメント」なのか?
前者なら、「人間の爆発を表す一大芸術」であろうし、後者ならば政治的な象徴であろう。
上記2つの意見があり、どちらであろうか???
ーーーーーー万博のルールーーーーーーーーーーーーー
元々のルールは、万博の後はすべて解体する事を約束させられています。
唯一の例外は、「太陽の塔」と、パリ万博のエッフル塔です。
大阪府民のたっての投書により「残す」ことになりました。
岡本太郎は、最初から残ることを予想して作ったと思われる跡があります。
中にある、生物の系統図とか、太陽の顔、昔の太陽の顔とか、顔が4つもあるとか??
太陽の顔が、鉄で作ったために、錆が出てお祭り広場の屋根に振りしそいだので、ステンレスの素材機変えたとか、黒い顔は信楽の焼き物で作ったとか、その場限りの作りっぱなしです。
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面白いのは、「お祭り広場」の屋根に穴を開けさせて、太陽の塔の頭を出させるというアイデアです。
「世界の丹下」と、取っ組み合いの喧嘩をしたそうです。
丹下健三というより、弟子の磯崎新の作ですが、雨風になっても、お祭り広場で「どんちゃん騒ぎ」が出来るように設計されています。
広大な領域を囲うため、軽量鉄骨、軽量素材が選ばれています。
大阪万博の後、パリの、ポンピドー・センターでも、この屋根の斬新的な設計は採用されました。
丹下健三事務所の総力を挙げて、綿密に安全設計されています。
それに、穴をあけるというのは、建築家にとっては屈辱です。
何の目的で、穴をあけるのか?
常識的には、屋根の外に塔を建てるべきでしょう!!
太陽の塔自体の、安全設計は、出来ていないと言いますし、安全設計上太陽の塔は建築不可だったようです!!
そもそも、屋根に穴をあけたら「お祭り広場」の役に立ちません。
雨・風が吹き込んだりしますし、強度設計を再度やり直さないといけませんし、複雑すぎて計算できないでしょう。
果たして穴をあけた状態での強度設計は出来るのか?
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兎に角、岡本太郎が自分の思い付きを、「世界の丹下」の前でポロット喋って、自説を通すという心境が理解できません。
東京オリンピックで、日本の体操競技の為に代々木の岸体育館を作った丹下健三を相手にして「良くやるよ!!」とびっくりします。