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No.1547 - ゴッホ(ひまわり)
投稿日 2024/04/25(Thu) 11:18:01
投稿者 Sabu Q D Kaneda
58億円の絵の真相

1.ゴッホとは?

  数字的に、ビックリします:
     37年という短い生涯のうち、僅か10年活躍。代表作は「ひまわり」。7作品といわれている
     油絵だけで、800点以上を残している。
生前に売れた画は,一点のみ。
     「ひまわり」の絵は、1987年58億円!で落札
2.生涯

  1853年、オランダ南部のズンデルトで牧師の家に生まれた(出生、少年時代)。
  1869年、画商グーピル商会に勤め始め、ハーグ、ロンドン、パリで働く
  1876年、商会を解雇された(グーピル商会)。
      その後イギリスで教師として働いたりオランダのドルトレヒトの書店で働いたりするうちに聖職者を志すようになる。
  1877年、アムステルダムで神学部の受験勉強を始めるが挫折した。
  1878年末以降、ベルギーの炭坑地帯ボリナージュ地方で伝道活動を行ううち、画家を目指すことを決意した(聖職者への志望)。
  1881年 オランダのエッテン(1881年4月-12月):貧しい農民の生活を描いた暗い色調の絵、
  1882年 ハーグ、
  1883-1885 ニューネン:「ジャガイモをたべる使途人」
1985-1986 ベルギーのアントウェルペンへと移り、弟テオドルス(通称テオ)の援助を受けながら画作を続けた。
  1886年2月、テオを頼ってパリに移り、印象派や新印象派の影響を受けた明るい色調の絵を描くようになった。『タンギー爺さん』などが知られる。
     日本の浮世絵にも関心を持ち、収集や模写を行っている(パリ時代)。
  1888年2月、南フランスのアルルに移り、『ひまわり』や『夜のカフェテラス』などの名作を次々に生み出した。
      南フランスに画家の協同組合を築くことを夢見て、同年10月末からポール・ゴーギャンを迎えての共同生活が始まったが、次第に2人の関係は行き詰まり、12月末のファン・ゴッホの「耳切り事件」で共同生活は破綻した。
      以後、発作に苦しみながらアルルの病院への入退院を繰り返した(アルル時代)。
  1889年5月からはアルル近郊のサン=レミにある療養所に入所した。
       発作の合間にも『星月夜』など多くの風景画、人物画を描き続けた(サン=レミ時代)。
  1890年5月、療養所を退所してパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り、画作を続けたが(オーヴェル時代)、7月27日に銃で自らを撃ち、2日後の29日に死亡した(死)。
        発作等の原因については、てんかん、統合失調症など様々な仮説が研究者によって発表されている。

   生前に売れた絵は『赤い葡萄畑』の1枚のみだったと言われているが(他に売れた作品があるとする説もある)、晩年には彼を高く評価する評論が現れていた。
   彼の死後、回顧展の開催、書簡集や伝記の出版などを通じて急速に知名度が上がるにつれ、市場での作品の評価も急騰した。

 弟テオや友人らと交わした多くの手紙が残され、書簡集として出版されており、彼の生活や考え方を知ることができる(手紙)。
 約10年の活動期間の間に、油絵約860点、水彩画約150点、素描約1030点、版画約10点を残し、手紙に描き込んだスケッチ約130点も合わせると、2100枚以上の作品を残した。
 有名な作品の多くは最後の2年間(アルル時代以降)に制作された油絵である。
 一連の「自画像」のほか身近な人々の肖像画、花の静物画、風景画などが多く、特に『ひまわり』や小麦畑、糸杉などをモチーフとしたものがよく知られている。
 印象派の美学の影響を受けながらも、大胆な色彩やタッチによって自己の内面や情念を表現した彼の作品は、外界の光の効果を画面上に捉えることを追求した印象派とは一線を画するものであり、ゴーギャンやセザンヌと並んでポスト印象派を代表する画家である。またその芸術は表現主義の先駆けでもあった。

 ゴッホについては、以下を参照

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B


3.ひまわりとは?
  ゴッホは、「画家の内面を表した画家と言えます。
  ひまわりの花を「燃え上がるように上に向かっているのが希望」、「下にい向かうのは失意」の表れと言われていますが、何方かというと「願い」や「思い」のような前向きの姿勢が勝っています。

  「タッチ」や「補色の原理」「筆であらわすウネリ」、等により自分の内面と周囲の人物に対する愛情や関係をすべて描いています。
  言い刈れば、人間に姿は無いがヒマワリという花を通じて描かれた肖像画の様なものです。

  ゴッホのひまわりについては、以下を参照下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%BE%E3%82%8F%E3%82%8A_(%E7%B5%B5%E7%94%BB)
『ひまわり』(フランス語: Les Tournesols、オランダ語: Zonnebloemen、英語: Sunflowers)は、1888年8月から1890年1月にかけてフィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた、花瓶に活けられたヒマワリをモチーフとする複数の絵画の名称である。

 ファン・ゴッホにとってのヒマワリは、明るい南仏の太陽、ひいてはユートピアの象徴であったと言われている。
 アルル滞在時に盛んに描いたひまわりを、精神病院での療養が始まってからは描いていないこともその根拠とされる。

4.ゴッホのヒマワリの絵が絵画の価格を一変(絵画が投機の対象となった)

  1987年、58億円という途方外の値段を創出した!!!
  超高額落札、発見、盗難、、等の絵画(絵画は、大きくないキャンバスの上に描かれているので、額から外せば、巻いて簡単に持ち運びできる。)
  絵画にまつわる、事件が起きる切欠となりました。

  巨匠の失敗作の議論以前の話です。
  絵画への見方が「傑作・失敗作」どころか、絵画が別次元(経済面)から評価されるようになった端緒です。
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