ポスト印象派の旗手と謳われ、ピカソやマチィスなどの後続の大家たちに影響を与えた孤高の画家です。
以下のWipediquaを参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8C1.概要
ポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839年1月19日 - 1906年10月23日(墓碑には10月22日と記されているが,近年は23日説が有力[注釈 1]))は、フランスの画家。当初はクロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワールらとともに印象派のグループの一員として活動していた。
しかし、1880年代からグループを離れ、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求した。
ポスト印象派の画家として紹介されることが多く、キュビスムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与えたことから、しばしば「近代絵画の父」として言及される。
2.セザンヌの作風・技法の変遷
リオネロ・ヴェントーリは、セザンヌの油彩画の発展段階を、
(1)アカデミズムとロマン主義の時期(1858年-71年)、
(2)印象主義の時期(1872年-77年)、
(3)構成主義の時期(1878年-87年)、
(4)総合の時期(1888年-1906年)に分けて考察している。
もっとも、印象主義との出会いの時期も必ずしも印象主義的な絵を描いたとはいえず、構成と総合は年代に依存するものではないため、初期のロマン主義的作品を除く後期作品については、年代によって区分することは恣意性を含むとの指摘もされている。
3.セザンヌの特徴
印象派の人たちは「人の目」になろうとした。視覚に忠実であることを目指した。
セザンヌは、それに加えて「対象となる物質自体が持っている性質の強度の差を描いた。セザンヌは「写真の感光板」になるという言い方をしている。
セザンヌの絵画は、光や熱を自分の体で受けて、それを絵で置き換えていくような描き方をしている。
セザンヌは、自分の試みが実験的であるとことを、自覚していた。
自分が描いた絵は、「未だ実現してない」という認識を抱き続けていた。
良く、描かれた作品もあれば、最後まで完成させようとしない作品もある。
4.サント=ヴィクトワール山とは?
サント=ヴィクトワール山は、エクスの郊外にある標高1000メートルほどの山である。
以下を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%B1%B1 セザンヌは、1870年に描いた風景画の背景にこの山を取り入れたことがあるが、1880年代半ば以降、この山を重要なモティーフとする連作に取り組むようになった。
油絵、水彩、素描で数十点が描かれている。
サント・ヴィクトワール山は、連作で「完成という概念」を疑っている作品です。
20世紀の画家たちに与えた影響を考えると「名作」であることは、間違いありません。
近代芸術は、「名作という概念を壊していくこと」に、問題提起があります。
絵画の「パラダイム・シフト」を提起する事です。
この意味で、意図を果たしています。
結論から言うと、「名作」への「パラダイム・シフト」を目指したもので、「名作とは何か??」への疑義を提案した「名作」といえます。