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No.1545 - ウジューヌ・ドラクロア(民衆を導く女神)
投稿日 2024/04/24(Wed) 11:12:07
投稿者 Sabu Q D Kaneda
ウジューヌ・ドラクロアについては、以下のWikiepediaを参照ください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%AF

1.生まれ

 1798年、パリ近郊のシャラントン (現在のサン=モーリス) に生まれた。
 父は外交官シャルル=フランソワ・ドラクロワ(フランス語版)だが、ウィーン会議のフランス代表として知られるタレーラン=ペリゴールが実の父親だという仮説があり、かなりの根拠がある。

2.業績
  新古典主義の画家ピエール=ナルシス・ゲラン (Pierre-Narcisse Guérin) に入門し、1822年、『ダンテの小舟』で先輩画家であるアントワーヌ=ジャン・グロの強力な推薦もありサロン(官展)に入選した。
 1824年のサロンには『キオス島の虐殺』を出品する。
 この作品は当時(1822年)実際に起きた事件を題材にしたもので、サロンでも賛否両論を巻き起こした。
 グロはこの作品を「これは(キオス島の虐殺ではなく)絵画の虐殺である」とまで酷評したが、結局、作品は政府買上げとなった。
 1830年の七月革命に際しては、有名な『民衆を導く自由の女神』を制作している。この絵画は彼の肖像と共に、旧フランス・フランの100フラン紙幣に描かれたこともあった。

 1832年、フランス政府の外交使節に随行する記録画家としてモロッコを訪問した。
 1834年の『アルジェの女たち』は、モロッコ旅行の際のデッサンをもとに制作したものである。
 1830年代以降は、リュクサンブール宮殿、パリ市庁舎など、政府関係の大建築の装飾を数多く手掛けた。
 1863年に死去するまで旺盛に制作を続けた。

3.美術館
 アトリエ兼自宅は、国立のウジェーヌ・ドラクロワ美術館となっている。

4.民衆を導く女神の画
この絵は、1830年の7月革命を描いている。
 1830年7月27日から29日にフランスで起こった市民革命。
この三日間は栄光の三日間(仏: Trois Glorieuses)と呼ばれている。
 これにより1815年の王政復古で復活したブルボン朝は再び打倒された。
 ウィーン体制により構築された正統主義は部分的に崩壊し、ブルジョワジーの推すルイ・フィリップが王位に就いた。
 その影響はヨーロッパ各地に波及し、ウィーン体制を揺るがせた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B97%E6%9C%88%E9%9D%A9%E5%91%BD

 このあたり、目まぐるしく政治体制が変わりましたので、年代を示します。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 1789年   フランス大革命で、「ルイ16世&マリー・アントワネット」の王政が倒れた。
 1792年   第一共和制
 1798-1804 フランス共和国
 1804-1814 フランス第一帝政(ナポレオンI)
 1814-1824 フランス王国(ブルボン家〈ルイ18世)
 1830年   7月革命
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

5.民衆を導く女神の画

(1)ドラクロアの有能さ・本質

 絢爛豪華な歴史絵巻を描くことに秀でています。

 「サンダナパールの死」が、典型的な絵です。
 以下のWiquipediaを参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%BB
ーーーーーーーーーーーー
 アッシリア王サルダナパール(en)の最期を描いた歴史画である。ベッドの上に裸の女性が横たわり、無表情なサルダナパールに命乞いをしている。
  サルダナパールは、自身の世俗の財産が破壊されるのを眺めている。
  サルダナパールは軍の敗北に際し、財産を破壊し愛妾を殺害するよう命じ、自身で火をつけたのである。

『サルダナパールの死』は、バイロン作の戯曲『サルダナパール』に基づいており、ロマン主義の作品に分類される。
 この絵は、豊かで鮮明な、暖かい色彩により、さまざまなタッチで描かれている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  詩人バイロンの戯曲を通じて間接的な着想を得て描いている。

  ベッドの上の赤い布が印象的です。
  滅びの場面は、「そこまで、やるか?」と思われる程目を見張ります。

  これは、ドラクロアの「想像・思い込み」を「創造」したものであり、説明のつかない着想がこの絵の肝です。

  女たちを、自分の目の前で「グサグサ」刺していて,サンダナバールはその様を、ベッドの上でじっと見ている。
  ドラクロアが、実際に見ていない画面を、記憶力という勘違いによって生まれる偶然性の面白さがある。

 ドラクロワの本質は想像力によってここに存在しないものを、描くこと、つまり「エトランジェ=(異邦人)」という表現が最も相応しいでしょう。

 (2) 民衆を導く女神とは?

   見たままの単純な絵で、7月革命を「シンボライズ」するために「政治的に利用されている」だけです。

   何故、フランス国旗の「3色旗」が必要なのか?

   芸術と社会を結ぶ接点として機能するには、「3色旗」は格好の素材でしょう!!
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